MANSAI@解体新書 その拾六 「依代(よりしろ)」 ~宿りというポイエーシス(創造)~ 2010年1月29日 演奏会/公演

MANSAI@解体新書 その拾六 「依代(よりしろ)」 ~宿りというポイエーシス(創造)~ 
MANSAI@解体新書 その拾六 「依代(よりしろ)」 ~宿りというポイエーシス(創造)~ 
MANSAI@解体新書 その拾六 「依代(よりしろ)」 ~宿りというポイエーシス(創造)~ 
【講題】MANSAI@解体新書 その拾六 「依代(よりしろ)」 ~宿りというポイエーシス(創造)~ 
【講師】野村萬斎(和泉流狂言師)
    杉本博司(現代美術作家)
    中沢新一(思想家・人類学者)
【会場】世田谷パブリックシアター
【開演】19時
【料金】3000円
【感想】
世田谷パブリックシアターの芸術監督である野村萬斎さんが企画・プロデュースする「MANSAI@解体新書」にて興味深いテーマ(依代)が採り上げられるというので聞きに行くことにしました。当日券だったので立見券(3,000円)になってしまいましたが、座席券(3,500円)と500円差しかないのは料金設定のバランスが悪いのでは..。

http://www.hmv.co.jp/product/detail/2706293

前半では「依代」を考えるための素材として、式三番(翁)より三番叟の段(揉之段と鈴之舞)が演じられました。まだ式三番(翁)は2~3度しか観たことがなくこれだけ真近で観るのは初めてでしたが、三番叟の段がこれほど気迫の籠もった舞だったとは知りませんでした。萬斎さんは僕と同世代(僕よりも年上)ですが、これだけ激しい動きをしても息が上がらず舞が荒れない身体能力の高さに感心してしまいます。揉之段は直面で膝を高く上げるハコビと跳躍的な動作が多い激しいものですが、鈴之舞は黒式尉面をかけて摺り足のハコビが多く独特な所作が目立つ面白いものです。1月3日のブログにも書きましたが、とにかく翁は独特の所作が多く観れば観るほど謎が深まるばかりで、例えば、鈴之舞では三番叟が右前方に屈んで地面に向けて鈴を振りながら顔だけを左上方に振り向けて扇で顔を隠すという独特のポーズをとりますが、このポーズにどんな沿革や云われがあるのかなどなど興味尽きせぬものがあります。式三番(翁)のDVDはリリースされていないのかしら?

後半ではゲストを交えて「依代」をテーマとした対談となりました。中沢新一さんは翁についてかなり明確なイメージを持っておられ(詳しくは中沢さんの著書「精霊の王」(講談社)を読みましょう!)、大変に面白い話が聞けました。テーマから離れて色々と話が脱線していましたが、テーマに関連する部分(のうち、能楽とつながりがある部分)の概要をごく簡単に書き残しておきたいと思います。1月3日のブログで「三番叟が鈴を振りながら地面を踏み鳴らすのはどのような意味や沿革があるのか」と素朴な疑問を書きましたが、丁度、この部分に言及されていたので忘れないうちに書き残しておきますと、萬斎さんによれば、三番叟が鈴を振り(即ち、種を蒔き)ながら、地面を踏み鳴らす(即ち、種を蒔いた後に地面を踏み固める)のは五穀豊穣を祈るという意味合いがあると解説されていました。さらに、中沢さんがより根源的な意味合いについて付言され、土地には悪い霊が住み着いて沸き立っている、これを踏み鎮めて清めるという意味合いが隠されており、三番叟が能舞台の隅々を回るのはそのためであろうという興味深いご見解を示されていました。要するに、土地を踏み沈めて清めるというのは「依代」としての「場」(能舞台)を設えるという意味合いがあるということなのだろうと思いますが、中沢さんが言わんとしていたことを正しく理解できているか分かりません(汗)杉本博司さんが鎌倉時代に作られた翁面を持参されましたが、どこか妖気が漂っているような独特の雰囲気を持った面相で(歴史が刻む重みもあるとは思いますが)鎌倉時代の日本人は現代の日本人と比べて異界(超越的なもの)に対する鋭敏な感性を持っていたことが伺われます。中沢さんが面をかけるという行為について、俗世との接点である顔を面で覆い隠すことで自分の対外へ出て行くという感覚又は隠れた自分が出て来るという感覚が生まれるという趣旨のことを仰っていましたが、これが何ものかが憑依したという感覚に結び付くのかもしれません。この話との絡みで、萬斎さんが揉之段で肉体を極限の状態まで持って行って体を空洞化させ、鈴之舞で面をかけることで自我を消し去る感覚になるという趣旨のことを仰っていましたが、これによって「依代」としての「身体」が出現するということなのかもしれません。土地に住む悪霊を鎮めて清められた場と、内と外から無我になった身体に、松の木を伝って異界のもの(精霊)が降りてくるというイメージでしょうか。また、中沢さんが、黒式尉面が黒いのは異界(闇=黒)へ降り立つという象徴的な意味合いを持っているという趣旨のことを仰っていたのはとても興味深かったです。異界から俗世へ顕在する面は白(光)、俗世から異界へ降り立つ面は黒(闇)と言い換えることができるでしょうか?中沢さんが翁は此岸と彼岸の境目にあり、翁を媒介として此岸と彼岸を自由に行き来ができると語っていましたが、昔の日本人は遥かに広大な精神世界を持っていたのに対し、その精神世界を失い即物的な世界に雁字搦めになってもがいている現代の日本人の姿が浮かび上がってくるようです。現代の日本人がこの広大な精神世界を取り戻せるか今後の萬斎さんの活躍に期待したいですし、平成の世阿弥となり得るか萬斎さんの一挙手一投足から目が離せませんな。

詳しくは後ほど。

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